市町村職員や議員たちに研修などを行う機関があります。
数年前からここの管理職基本研修プログラムのひとつ、
人権学習・人権問題
を担当しています。
(詳細は→http://www.kochi-hitozukuri.or.jp/kensyuitirandata/kaiso/kihon21.pdf)
主に高知県人権施策基本方針に基づいた参加型プログラムを実施、
研修参加者の皆さんには、
自分の身近な暮らしの中で気付いたことや体験を元に、
グループディスカッションをしてもらいゆう。
昨日の研修では“女性の人権”でちょいと盛り上がったのだ
職場でのお茶くみや家庭での家事育児に男性が参加・・・・
おっと、この参加ってのが引っかかるんだけどね
それらを女性の領域と位置づけ、
主体性をともなってないみたいな響き、感じん??
だからなのか、
男性にお茶を出していただいたときに気持ちよく飲めるときと、
「入れちゃりゆうがぞ」みたいな無言の圧力を感じる時があるがって。
家庭でもあるがやないろうか。
「ゴミを出しちゃりゆう」
「洗濯しちゃりゆう」
「掃除をやっちゃりゆう」・・・・・
出来る時にやれる方が担ってお互いが気持ちよく暮らせたらハッピー
でも心のどこかに「やっちゃりゆう」の気持ちが潜んでいたらアンハッピー
男女間に限らず、これはいろんな人間関係の中で言えるんじゃないやろか。
PTA活動や市民活動で時折耳にするのは、
「私はこんなにもやりゆうに、あの人らぁは・・・」という不満。
やっちゃりゆうのモノサシは捨ててしまいたい。
電車の中で席を「譲っちゃる」態度は、
譲られた方に肩身の狭い思いを強いるだけ。
「車椅子を押しちゃったに迷惑がられた」
「目の不自由な人の手を取って案内にちゃったに怒られた」
勝手に障害を持つ人=手助けを必要としている人って決めつけるなんて失礼千万。
きっと
人づくり連合の研修に参加している職員さんたちは、
「市民にしちゃりゆう」体質な〜んて、
これっぽっちもない・・・はず
「クリック、いっつも押しちゃりゆうで」は大歓迎やき〜
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